洗濯機をやめたら、工場が見えてきた
稲垣えみ子さんの『火事か地獄か』を読んだ。Amazon販売

元朝日新聞記者の稲垣さんが、東日本大震災と脱サラをきっかけに、究極のミニマリストへと変わっていく記録だ。その中で「家事」という言葉が、まるで別の意味を帯びて登場する。嫌なもの、効率化すべきもの、ではなく、自分の内側を整える仕事として。
読みながら、何度も工場のことを考えた。
洗濯機が生み出した「非効率」
稲垣さんは、洗濯機を手放した。
普通は逆だ。家事を楽にするために、みんな洗濯機を買う。
「ほっとけば洗える」。
たしかにそうだ。でも稲垣さんは、その先に起きることを鋭く指摘する。
洗濯機があると、人間の知恵は「いかに洗わないか」ではなく、「まとめて洗う方向」に働くようになる。ちょっと汚れただけでも洗濯機へ。でも「少量で回すのはもったいない」から、週末まで溜める。すると下着が何枚も必要になり、汚れは落ちにくくなり、水と洗剤の量は増えていく。
便利にしようとした道具が、なぜか手間を増やしている。
一方、稲垣さんはその日に着たものをその日に手洗いする。洗いたくないから、汚れにくい素材を選ぶようになる。少量をすぐ洗うから、汚れは簡単に落ちる。溜まらないから、たくさんの下着も要らない。
「困れ」が、知恵の入り口だ
本田宗一郎はこう言ったという。
「困れ。困らなきゃ何もできない」
困るから人間の知恵は働く。逆に言えば、困らない仕組みを先に作ってしまうと、知恵が眠る。
私がコンサルの現場で、むやみに設備を勧めない理由はここにある。
設備を入れると、「まとめてやる」が正当化される。一度に大量に加工して、一度に大量に検査して、一度に大量に運ぶ。効率的に見える。でもその結果、仕掛かり品が積み上がり、不良の発見が遅れ、保管スペースが必要になり、管理のための管理が生まれる。
稲垣さんの洗濯物と、まったく同じ構造だ。
「ちょこちょこやる」が、最強の工場をつくる
トヨタ生産方式の本質のひとつは、「一個流し」だ。まとめて作らず、一つひとつをお客さんに向けて流していく。
設備ではなく、人間の手と目が基点にある。
手でやるからこそ、「これはムダだ」「この動きは変だ」と気づく。
気づくから改善できる。改善できるから、現場が育つ。
稲垣さんは一連の変化を経て、こう書いている。1日の終わりに洗い上げたものをパンパンと干す瞬間、すっきりと1日が終えられると。達成感がある、と。
工場でも、同じことが起きる。
自分の手で一つひとつ作り、お客さんに届ける。余分な仕掛かりも、余分なスペースも、余分な管理も要らない。そして現場の人間が、仕事に手応えを感じるようになる。
おわりに
「効率化のための設備が、逆に非効率を招く」
この逆説を、稲垣さんは家事という身近な話で、鮮やかに見せてくれた。
製造業に携わる方にこそ、ぜひ手に取ってほしい一冊だ。
工場の話は一切出てこないのに、工場のことばかり考えさせられる。そういう本だった。

