「数字で管理すれば、うまくいく」という思い込み
工場改善サービスの田代です。
先日、ある組立工場の社長から、こんな相談を受けました。「従業員の給料を、どう決めたらいいんだろう」。一人ひとりの頑張りを、公平に給料へ反映させたい。とても誠実な悩みです。
けれど、よく考えてみると、これは「測れないものを、測ろうとしている」問題なのではないか。私はそう感じました。
大根の切り方で、料理の味は分からない
たとえば、カレーを作るとします。大根やにんじんを切り、肉を炒め、煮込んで、仕上げる。
このとき、「にんじんを切る人」の仕事だけを取り出して、評価できるでしょうか。にんじんの大きさを定規で測り、切る速さを計り、水分量まで調べたとして、それでそのカレーがおいしいかどうかは、分かりません。
おいしいかどうかが分かるのは、最後に完成品を食べたときだけです。
工場もまったく同じです。分業された途中工程の数値を、どれだけ細かく測っても、そこからは「儲かったのか」「良いものができたのか」は見えてこない。途中工程は、そもそも測れないのです。
見ている鍋は、煮えない
ここで、面白い物理の話をひとつ。
量子力学の世界には、「量子ゼノン効果」という現象があります。難しい理屈は抜きにすると、ある状態を頻繁に観測し続けると、その変化そのものが止まってしまう、というものです。「見つめる鍋は、なかなか煮えない」。あれの、物理版だと思ってください。
これは、工場で起きていることにそっくりです。途中工程を細かく測り、監視を強めれば強めるほど、人はかえって前に進まなくなる。測られていると、人は「測られている数字」を守ることに気を取られ、本来の仕事がおろそかになるのです。
速さで測れば、雑でも速く。個数で測れば、不良が出ても数を。測れないものを無理に測り、そこにインセンティブを付けると、機能しないどころか、逆効果にすらなりかねません。
では、どうするか。任せて、完結させる
答えは、「部分で測るのをやめる」ことです。
仕事は、完結した単位で持たせる。一つの製品、一つの工程のまとまり、一つのセル。自分の頑張りが、最終アウトプットにまっすぐ効く。それが実感できて初めて、人は自分の頭で工夫を始めます。
これは、トヨタ生産方式で言う「一人屋台」やセル生産、多能工化の考え方と、ぴったり重なります。
もちろん、「分業の方が効率がいいじゃないか」という声はあるでしょう。その通りです。私は、分業そのものを否定しているのではありません。ただ、評価とやりがいは、分業ではなく完結した単位で設計すべきだ、と言っているのです。ここを分けて考えると、現場の感覚ともぶつかりません。
給料の話に、戻ります
冒頭の社長の相談に戻りましょう。
個人の途中作業を、細かく点数化しようとするほど、評価は複雑になり、不公平感も生まれます。それよりも、完結した単位の成果、つまりチームの出来高や、利益への貢献で評価する。そのほうが、ずっとスムーズで、働く人も「公平だ」と感じやすいのです。
あなたの会社は今、測れないものを、一生懸命に測ろうとしていないでしょうか。測るのをやめて任せたとき、人は初めて、自分から動き出すのかもしれません。
